NEWS
第9回伊丹十三賞の贈呈式が行われ、受賞した星野源と、選考委員を務めた南伸坊、周防正行、中村好文、伊丹十三記念館館長の宮本信子が登壇。
映画監督、エッセイスト、イラストレーターなど、様々な分野で才能を発揮しつづけた伊丹十三の遺業を記念し創設された「伊丹十三賞」は、過去、糸井重里、内田樹、リリー・フランキーらが受賞。星野は、「うれしすぎて、今日はあまり寝れないと思います」と笑顔を。宮本信子は、「伊丹さんを知らない方に、星野さんを介して、伊丹の仕事を知ってもらえたらうれしいと思っています」とコメントした。贈呈式では星野がスピーチを。
「僕が小さい頃から、伊丹さんの映画はよくテレビで流れていました。『マルサの女』『ミンボーの女』はよく見ていたのですが、伊丹さんの作品を見直したいと思って、20半ば頃にDVD BOXを買いました。自分が改めて大人になって見て、『何て面白いんだ、こんなに面白いんだ!』と痛感して。自分のなかで伊丹さんブームが訪れて、エッセイを読んだり、映画を見たり、『13の顔を持つ男』というDVDを見たりして、こんなにすごい人なんだということを、いろんな活動をされていることを知って、すごく面白いなと思ったし、かっこいいなと思いました。
自分は中学1年生の頃から演劇と音楽を始めて、高校3年生ぐらいに文章を書ける人になりたいと思い、それぞれ勝手に活動を始めました。それから、それらがだんだんと仕事になりました。そのなかで、芝居の現場に行くと『音楽の人でしょ』といわれて。……『うんうん、間違ってない』……音楽の現場に行くと『芝居の人でしょ』といわれて。どの現場に行っても、自分の居場所がないなとずっと思っていました。それに加えて、文章まで始めてしまったので、『1つに絞らないの?』とか、『何が一番やりたいの?』と言っていただくこともあったんですが。個人的には小さい頃から植木等さんとか、いろんな人の活動を見てきて、僕が憧れているのはあんなにいろんなことをやっているのに、なぜこんなにみんな『一つのものに絞った方がいい』というんだろう、と。もちろん、2足のわらじのように適当にやってたらダメだと思いますが、どの仕事も本当に好きで、好きだと思っていたら、もうそれしかできないなと思っていたことが仕事になった感覚があり。すごく寂しい思いをしていました。どこかにグループに属することに憧れてはいたんですけど、いつもそこからちょっとはみ出してしまって。そんななか、伊丹さんのいろんな顔を知ることによって、本当に好きなら、面白いことなら何をやってもいいんだという思いになりました。ずっと、伊丹さんは遠くにずっと灯台のような存在。サーチライトのように照らしてくれているんですけど、どうやってもそこには着けないようになっていて。(伊丹さんを)追いかけようとした時期もあったんですけど、だんだんと伊丹さんの活動を見ていて、そうじゃなくて『自分の場所を作れ、君は君の場所を作れ』といわれているような感覚がありました。20代後半からは、どこかに属するというよりも、とにかく好きなこと、自分がやりたいことをやろう、一人前になりたいとそういう気持ちでどの仕事もやっていたら、こんな素晴らしい賞を頂くことができました。伊丹さんに『それが君の場所だよ』と言われているような気がして、すごくうれしかったです。
伊丹さんの作品を見て思う印象は、すごく自由な人だなという印象です。自分の好きなもの、面白いものを素直に追い求めて、それを紹介したり、実践することによって、周りの人たちがすごく楽しくなったり、見ている人たちの気持ちをちょっと変えたり……それってすごいことだなと思います。そして、怒りや憤りや悲しみからも自由だったような気がします。きっときっといろんなことがあったんだと思います。なのに、その怒りさえも、面白いことに変えて。みんなが面白いという思いにさせる表現をする人は、とてもとてもカッコいいと思います。僕はそういう人にいつかなりたいなと思います。
そういう自分が受け取ったものはずっとつながっていくと思っていて。人は死んでも、みんなが話したり、つないでいったりすることによって、遺伝子はつながっていくと思っていて。そういう遺伝子を僕も伊丹さんからもらっていると思うので、自分の表現という形で、ちゃんと自分のフィルターを通した形で、その遺伝子をつなげていけたらと思っています。(伊丹さんたちとは)違う大陸だと思っていたんですけど、ここに来て、大陸は海のなかでもつながっていたんだなと思いました。本当にうれしいです。ありがとうございます」
と話が長くなったことに恐縮しながらも、自分の思いを丁寧に語っていた。