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ブラジルW杯開幕前、日本の報道では、飛行機の遅延やホテルのダブルブッキングへの危惧、あるいは死が隣合わせにあるかのような治安への不安が先行していたようだ。実際に準決勝ブラジルの敗戦後にはバスが焼かれ、期間中は小、中規模のデモもあった。すりやひったくりに遭った観戦者もいるし、飛行機の遅延で試合の前半を棒に振った日本人記者もいた。
無論あってはならないことだが、しかし(日本以外なら)どの国でW杯を開催しようが起こりうる範囲内。ことブラジルの日常を知る人なら、至って平和的だったと称賛できるだろう。
これにはデータの裏付けもある。ブラジルの全国紙が外国人観戦者に行ったアンケートによれば、運営に関して8割以上が「よい」と答え、交通や治安も高評価。もてなしに至っては実に95%が満足したそうだ。W杯開催は世界がブラジルを見直すきっかけになったのではないか。
しかし6月16日、この日は「ブラジルらしさ」が出た。前日にリオデジャネイロでアルゼンチンーボスニア・ヘルツェゴビナの一戦を取材し、翌日のブラジルーメキシコ戦に備えてフォルタレーザへ向かう飛行機に乗り込んだ。
ところが、離陸予定時刻を過ぎてもなかなか出発しない。メキシコ人が大半を占め、米国やカナダのグループにブラジル人も少々、乗客は全員揃っている。機内にフラストレーションが溜り始める。
待つこと40分。「ブラジル時間」では決して珍しくない遅延だが、ついに乗客の堪忍袋の緒が切れた。「何が起こっているんだ。今すぐ説明しろ」。スペイン語と英語、そしてスペイン語訛りのポルトガル語で罵声が飛び交う。
聞こえないフリをするフライトアテンダント。すると何人かが詰め寄り、理由を聞き出した。
「機内食のサンドウィッチがまだ搬入されない」。
何ともお粗末な理由に怒りのボルテージはますます上がる。ブラジルへの当てつけで、「ビバ・メヒコ」の大合唱が始まり(翌日両国は対戦)、「誰もサンドウィッチなんて食いたくない。早く出発しろ」とまくし立てる者もいる。
そんな乗客の凄まじい圧力に負け、ついに飛行機は離陸。機長による出発のアナウンスに皮肉交じりの大歓声が沸き起こった。さっきまで怒声を響かせていた隣席のカナダ人男性は、こちらを見て握手を求めている。筆者自身日頃痛い目に遭っているブラジルの時間感覚の鈍さが、力ずくで捻じ曲げられた瞬間にすがすがしさすら覚えた。
もしこの日、筆者が飛行機の遅延で試合を見逃したとしたら、日本人的な感覚では、「ブラジルはいい加減な国なのだから、それを見越して計画しないあなたが悪い」という発想になるだろう。つまり「いつも通り」に行動する環境を整えられなかったあなたが悪いということだ。しかし「いつも通り」の環境が自分次第で用意されるのは日本くらい。ことブラジルのような国では、臨機応変に、時に強引に行動する力が試される。
この出来事に、「『自分たちのサッカー』ができずに終わった」と口にした日本代表が重なる。「いつも通り」にできるはずもないW杯の舞台。ならば強引に打開するアイディアと行動力が一人一人にもっと要求されたのだと思う。翌日メキシコは、格上でかつ開催国のブラジルを相手に互角以上の戦いをし、予選突破につながる勝ち点1をもぎとった。
さらに機内で顧みたのは、自らの日々のブラジルでの暮らしだ。いい加減さを甘受し、主張を諦めていなかっただろうか。まずは小さなことから。次回必要以上にスーパーのレジで待たされた時は、「何にそんなに時間がかかっているんだ。説明しろ」と叫んでみようか。
【筆者紹介】
夏目祐介 YUSUKE NATSUME
1983年東京生まれ。早稲田大学、英国ローハンプトン大学院(スポーツ社会学)卒業。2009年ベネッセコーポレーション入社、2013年同退社。W杯のためすべてを捨ててブラジルへ。現在ブラジル邦字紙「サンパウロ新聞」記者。