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<伊良皆会長(左)とダビジGM。壁の写真はPSTC出身者たち>
サッカーW杯ブラジル大会はついにベスト4が出揃った。開催国ブラジルも苦戦を強いられながらここまで残っている。その中で、決勝トーナメント以降全試合で先発出場するMFフェルナンジーニョという選手がいる。同選手は、予選3戦目のカメルーン戦で途中出場すると、停滞気味のチームの流れを変え、自身も得点。4-1の勝利と、ブラジルのグループ1位での突破に貢献し、ルイス・フェリペ・スコラーリ監督の信頼をつかんだ。
このフェルナンジーニョは、実は一人の日系人が見出した選手だ。同選手をスカウトし、育成したのは、PSTC(Parana Soccer Technical Center パラナ・サッカー・テクニカル・センター)会長の伊良皆マリオ氏だ。
パラナ州ロンドリーナ。日系3世の伊良皆氏は1994年、この街にPSTCを創立した。40歳だった同氏は家業の牧畜を継ぐ人生に「幸せじゃない」と感じ、好きだったサッカーの世界に足を踏み入れた。元々宿舎だけあった土地を購入し、改装。グラウンドをつくり、全寮制のサッカークラブを立ち上げた。
PSTCはパラナ州選手権2部を戦うプロクラブである一方で、一番の目的は14~17歳の選手を育成し、ビッグクラブへ売ること。そのためU―17(17歳以下)パラナ州選手権が主戦場であり、同クラブにはU―15、U―17しかカテゴリーがない。
プロの試合に出るのは、期限付きで他クラブからレンタルされる選手がほとんどだ。
同クラブの選手育成は徹底している。平日午前中は地元の中学、高校へ通い午後に練習。交通費、保険料、サッカー用具など経費はすべてクラブが持ち、選手の家族には一切費用負担はない。
サッカーや生活面でのサポート体制も充実し、監督やコーチ、フィジカルトレーナー、ドクターや心理カウンセラー、栄養士なども常駐。さらには勉強に追い付けない選手のために教師も招く。
GMのレナト・ダビジ氏は言う。
「選手が子どもであることを忘れてはいけない。サッカーだけじゃない教育が必要なのです」。
選手たちにはサッカーに打ち込む恵まれた環境が与えられるが、引き換えに、激しい生き残り競争が待っている。ダビジ氏は「選手は17歳までで見極めている。18、19歳はウチではなくブラジルの名門に所属していないと将来的な芽はない」と話し、「自分より下の年齢の選手に抜かれてもアウト。相手チームに紹介するか、出て行ってもらうしかない」と続けた。
PSTCはどの名門クラブよりも先に、全国から若くて可能性のある選手を発掘し育ててきた。その信頼と実績はブラジル全土に知れ渡り、今ではどのクラブでも電話一本で選手を見にくるという。
創立以来20年間で約200人のプロ選手が同クラブから巣立ち、ブラジル代表選手も輩出している。2002、10年W杯の代表のクレベルソンや、昨年のコ ンフェデレーションズカップ優勝メンバーのジャジソン、ブラジルW杯の予備メンバーに選ばれたラフィーニャ、そしてフェルナンジーニョもその1人だ。
フェルナンジーニョは伊良皆氏に深い印象を残している。同選手は14歳から17歳までPSTCに所属し、「ウチから出たすべての選手の中で、一番の模範選手。練習熱心で、規律は絶対に破らなかった。昔からプロフェッショナル」だったという。
「フェルナンジーニョが15歳の時、フラメンゴが横取りを画策したんだ」と、伊良皆氏は振り返る。
その時同氏はフェルナンジーニョを社長室に呼び出し、こう説得したという。
「PSTCとおれを信じろ。お前ならここから名門クラブにプロとして行って、代表にもなれる。まだここに残れ」
同選手の両親は息子のフラメンゴ行きを希望していたが、本人が「僕はここで成長しているから残りたい。PSTCを裏切りたくない」と残留を決断したという。
その後フェルナンジーニョは当時提携関係にあったアトレチコ・パラナエンセへプロ契約で移籍し、20歳でウクライナのシャフタール・ドネツクへ。現在 は約50億円で移籍したマンチェスター・シティで活躍し、伊良皆氏の言った通りに自国開催のW杯でブラジル代表にも選ばれた。
伊良皆氏が選手たちに期待するのは、「実家が大事なように、PSTCをいつも誇りに思ってもらうこと」。準決勝まで進んだW杯、フェルナンジーニョは「PSTCファミリア」の思いを乗せて、母国を優勝に導く。
【筆者紹介】
夏目祐介 YUSUKE NATSUME
1983年東京生まれ。早稲田大学、英国ローハンプトン大学院(スポーツ社会学)卒業。2009年ベネッセコーポレーション入社、2013年同退社。W杯のためすべてを捨ててブラジルへ。現在ブラジル邦字紙「サンパウロ新聞」記者。