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ブラジル南部のサンタカタリーナ州クリシューマ。そこである元日本代表選手にインタビューを行った。取材中「ユウスケさん」と常に下の名前で筆者を呼び、物腰柔らかく敬語を使って話をしてくれたのは呂比須ワグナー氏。
今年4月、「クリシューマEC」の監督に就任し、ブラジル全国選手権1部(セリエA)のクラブを率いる初の日本人監督として話題を呼んだ。
クリシューマは人口20万人ほどの町。呂比須氏いわく、同クラブは「町全体がサポーターのめちゃくちゃ熱いクラブ」だという。
「歩いていたらみんなに声をかけられますよ。『ロペ!なんであの選手を使った?もっと違う戦術があるよ』ってね」。
同氏が監督に就いた時、クリシューマECはリーグで20チーム中19位に低迷。これまで全国選手権の1部はおろか、2部、3部でも監督経験がない呂比須の就任は、自身が語るように「まさか」の大抜擢だった。それでも、就任後6試合の成績は、3勝2分1敗で10位まで浮上(5月31日現在)。出足は好調だ。
「セリエAで初の日本人監督になったことには、正直すごいプライドがありますよ。日本がチャンスをくれなかったのもありますから」。
2012年、呂比須氏はガンバ大阪から監督就任のオファーを受け、日本へ渡った。しかし「神様の贈り物だと思った」と語るその夢は、叶うことなく打ち砕かれる。
同氏はJリーグで監督をするために必要なS級ライセンスを保持しておらず、ブラジル全国選手権セリエA、Bでの監督経験もなかったため、「特例」が下りなかったのだ。
「ただたださみしかった。僕は日の丸を背負って日本のために戦ったのに」。結局ガンバ大阪にはコーチとして加入するも開幕5連敗で解任。この悔しさを糧に努力し、ついに掴んだのがクリシューマEC監督就任だったのだ。
今年の目標は、同クラブをリーグ5位以内に導き、リベルタドーレス杯出場権を獲得すること。「クラブの目標は10位以内。でもボクはそこまで狙っています」。
その先の目標に日本代表監督があるのかを尋ねると、「日本に戻ることは今は考えられないですね。まだ心に痛みがある。まずはブラジルから世界一を目指します」と力を込めた。
そう言いながらも呂比須氏の日本への愛情は変わらない。W杯での日本の躍進を切望する。
「ブラジルと日本どちらを応援するか?もちろん日本ですよ。この顔をしているけれど僕は日本人ですから」。
呂比須氏は、日本が初出場を果たした1998年のサッカーW杯フランス大会で、日本が戦った3試合すべてに出場した。得点こそ挙げられなかったものの、中山雅史のW杯日本人初ゴールをアシストしたのは同氏だ。
現在所属するクリシューマECの選手やスタッフも、呂比須が日本代表選手だったことを知っているという。
「就任したばかりの時、『ヘディングうまかったね』とか『フランスW杯見たよ』と言われましたよ」と笑った。
ブラジルW杯で日本が勝つために、呂比須は「シュートを打つこと」が必要だと話す。しかし、日本代表は伝統的に決定力不足が課題視されている。同氏は原因の一つに、Jクラブでのシュート練習の甘さを挙げた。
「ホームランみたいなシュートにも『どんまい。次決めれば問題ない』って言うコーチが結構いる。いやいや問題あるよ。身体のバランスや足の踏み込み方を指導するのがコーチでしょ。ボクはいつも怒っていた。プロとしてそんなシュート打つのは恥ずかしいことですよって」
しかし、ブラジルW杯は間もなく開幕する。日本の選手たちは今残された時間で何をすべきなのだろうか。
「まずはケガをしない。チームメイトや監督とできるだけコミュニケーションをとる。やりにくい部分を皆でなくしていくこと。あとは今までやってきたことを信じるのみです」
ザッケローニ監督に何かアドバイスすることはあるだろうか。
「ボクに言えるのは簡単なことだけ。ブラジルは広い国だから移動が大変。コンディション作りに気を付けてほしい」
日本代表が合宿地に選んだイトゥは、呂比須が育った地元だ。
「試合会場は北の暑い地域だけれど、イトゥは夜が寒いから体調を崩しやすいですよ」
日本代表への期待はベスト8。注目するのは、ガンバ大阪のコーチ時代に“大阪ダービー”で見て以来好きだという柿谷曜一郎だ。
「シュートを積極的に打って欲しい。世界を驚かせて欲しい」
筆者には呂比須氏にどうしても聞いてみたいことがあった。それは「呂比須」の漢字の由来だ。これは同氏が本田技研でプレーしていた時に慕っていた、同クラブの強化部長が、呂比須氏の帰化祝いにプレゼントしたものだという。その強化部長は、姓名判断の専門家に依頼して命名したそうだ。
ポルトガル語で「Caminho de luz, determinacao, no resultado」。「僕は日本語を忘れてるから完璧に正しくないかもしれないけれど」と謙遜しながら説明してくれた意味は「光(比)に導かれるように正しい決断(須)ができて、道(呂)が開ける」。
日本が初参加したW杯の全試合に出場し、それはまた初の帰化選手のW杯出場だった。そして今、ブラジル全国選手権セリエAで初の日本人監督だ。なるほど、その名の通り、呂比須氏は着実に道を開いている。
【筆者紹介】
夏目祐介 YUSUKE NATSUME
1983年東京生まれ。早稲田大学、英国ローハンプトン大学院(スポーツ社会学)卒業。2009年ベネッセコーポレーション入社、2013年同退社。W杯のためすべてを捨ててブラジルへ。現在ブラジル邦字紙「サンパウロ新聞」記者。