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※本記事は大河ドラマ「光る君へ」の第18回(5/5㊐放送)のネタバレを含みます。
大河ドラマ「光る君へ」の第18回が5/5(日)に放送され、病死した道隆(井浦新)の跡を継いで関白の座に着いた道兼(玉置玲央)までも、疫病で急死する展開が描かれた。一時は憎しみ合っていた道長(柄本佑)との兄弟愛あふれるラストシーンや、まひろ(吉高由里子)が追悼するように琵琶を弾くシーンに反響が集まっている。
TVstationでは道兼を演じた玉置のインタビューを本誌(10号)に掲載したが、この記事では改めて、ネタバレも含め、玉置が語る撮影模様や道兼を演じた心境を紹介する。
――第18回で道兼は声を上げて笑いながら最期を迎えます。どのように演じましたか?
人がいつか死ぬことは決まり切っていることで、それは、あれだけ信奉していた父・兼家(段田安則)も亡くなってしまったし、兄・道隆も亡くなったことで、道兼もよく分かっている。だから、死を悟っても道兼に恐怖感はなかったと思います。ただ、自分がこれまで犯してきたことの愚かさを思ったり、ある種の虚しさを感じたりはしていただろうと思いますね。
死の直前、道長がそばにいてくれようとするんですけど、(第15回で)道長にきっかけをもらって心を開いた結果、最期にこうして寄り添ってもらえることに対しての喜びとか、それを踏まえて過去に起こしてきたことに対しての申し訳なさとか、何かいろんなものが入り混じった“文面通りじゃない笑い”だったなっていう気がします。あともう本当に、笑わざるをえないみたいなところもあったと思います。
――道兼の最期のシーンは、台本から変更があったそうですね。
そうですね。台本では、道長が見舞いに来ても道兼は病気がうつってはいけないと思って「入ってくるな」と突っぱねて、道長も御簾ごしに道兼と目を合わせて去っていくことになっていました。でも、リハーサルで(柄本)佑くんが「いや、道長は入っていくよ。御簾の中に入って兄上に寄り添うよ」って中泉(慧)監督に提案してくれたんです。
監督も「検討します」と言ってくれて、その場ですぐ変更とはなりませんでしたが、撮影当日も佑くんが「どうしても俺は入っていきたいし、寄り添うと思います、道長は」って再度、提案してくれました。それで中泉監督が「なるほど、そういう方向性もありますね。分かりました。それでやりましょう」と言って、ああいうシーンになりました。
それが道兼的にはすごくうれしいというか、有難くて。予定通りでももちろんやれるし、何ならそういうふうにやった方がいい可能性も当然あったんですけど、佑くんが提案してくれてかつそれを貫き通してくれたことと、道長として道兼に最後寄り添ってくれたっていうことがすごくうれしかった。
道兼は道長に救われたという思いがあってそれが転換点になっているんですが、(ラストシーンは)その思いが一方的なものじゃないのが分かる、分かった瞬間でした。道長って劇中を通して、自分という存在をぶらさず貫いてきた人物だなと思うんですね。長男とも次男とも違い、そういうやつこそがちゃんと生き残っていく。そこが僕はこの「光る君へ」の好きなところで。その彼が、これだけブレてきた兄に対して最後に寄り添ってくれたっていうのが……。すごく救われました。
佑くんが道長で本当によかったなと思ったし、佑くんと今回共演できてよかったなと思ったし、闘ってくれてありがとうと思いましたし。いろんな思いが詰まったラストシーンでした。
撮影の時、カメラが止まった後も、僕は咳が止まらなくなっちゃったんですよ。それを佑くんが、カメラはもう止まっているのにずっと背中をさすってくれて「つらいよね、つらいよね」って言ってくれたのを今でも覚えています。ああこれで道兼は自分の役割および死というものをまっとうできるなって思えて、幸せでしたっていう、変な話ですけど!
――道兼がこのように死んでいくと、最初の頃から想像していましたか?
よくSNSに「あいつ多分、呪い殺される」とか書かれていましたけど、そっちの方向の考えは僕には全然なくて。彼なりの幸せ、道兼なりの行き着く幸福というものを見つけて死んでいくんじゃないかなという気はしていたんですよ。
物語を盛り上げるための小道具として死んでいくみたいなことはきっとなくて、彼の重ねてきたいろんな所業があれど、きちんと納得のいく意味のある幸せな死を迎えるんじゃないかなって想像していました。実際、そういうふうになったんじゃないかなと思います。それは自分だけの力じゃなくて共演者の皆さまや監督や大石先生、それこそ佑くんのおかげでそうなれたから、本当に感謝、感動だなって。何かの取材の時に佑くんに言ったら「感動させてやったぜ」って言われて、ちくしょうと思いましたけど(笑)。
――中泉監督とは、第18回に関してどのようなやりとりがありましたか?
道兼が死んだ後に、台本ではインサート(風景描写などを差し込む演出)があったので、そこをどうしようかっていう話を中泉さんとする機会がありました。中泉さんは、儚さの象徴として死んだ蝶を蟻たちが運んでいる描写を入れたいと言っていて、僕は(第2回で)父上と見た、あの山の上からの風景を挟むっていう提案をしました。あの風景が、この18回までを経て、道兼には違う風景に見えるだろうし、視聴者の方にあの風景が今ならどういうふうに見えるだろうかっていうのを提示してみたいっていう話をして。
第15回から第18回の4回で道兼の人生も人間性みたいなものも価値観もガラッと変わるので、第2回の時点の感情とか境遇とか、その頃は存命だった兼家との関係とか、当たり前ですけどまるで違うんですね。だから、あの風景だけを写せば、いろんなものを想像させるし、示唆できるし。全く同じ風景が、願わくば違って見えてほしいというか。道兼が変わったのと同じように視聴者の皆さんの中でも、道兼の印象もそうですし、あの風景もそうですし、「光る君へ」の世界もガラッと変わって見えたりしたら面白いんじゃないかって、そういう意図で提案させてもらいました。
出演者が監督と、もう出ていないシーンについてすり合わせをさせてもらえるなんて思っていなかったので、すごく印象に残ることでした。世間話で「あの後のシーンってどういう画(え)になるんですかね」って僕が聞いたら「それちょうど考えていたんですけど」って中泉さんも答えてくださって、お互い盛り上がってこうしようああしようってなりました。
――道兼を演じてきて、手ごたえを感じたシーンは?
道兼にとって大きな転換点になったのは、道長に救ってもらった第15回のシーンなんですけど、もう一つ、第14回の兼家に「とっとと死ね!」と吐き捨てるシーンも印象深いですね。
道兼は結構、自分というものを押し殺してきたキャラクターだったなと思うんです。だから、絶対の存在だった父上に対して、生みの親に対して、あの言葉を吐けたっていうのは彼の人生にとって、ものすごい重要な瞬間だったんじゃないかなと思うんですよね。自我を押し殺して生きてきているので。もちろん衝動的にいろんなことをやってしまう場面もあるんですけど、父のために自分の出世のためにいろいろやってきたなかで、ああいう本当の心情を吐露できたことは大きかったなって。そこから道兼は、道長に何かしゃべるときにも、だんだん自分に嘘をつかず表現していくようになった気がします。
――道兼という主人公の母親を手にかけるヴィランを演じて、いかがでしたか?
僕はこれまでも殺人犯かクズの役を結構やっていて、言い方はあれですけど、お手の物なんです(笑)。
今回は改めてクズ役のやりがいも感じましたし、もっといっぱいやれるなと思いました。「いっぱい」というのは数をこなしたいという意味ではなく、いろんなやり方があるんだなっていう意味で。いろんなクズをまだやれるんだな、自分は、と思えたので、そこがやりがいにもなりましたし、今後の糧にもなりますし。いやでも、いい人の役やりたいんですよ、本当は(笑)。
取材・文/赤坂麻実
大河ドラマ「光る君へ」
NHK総合 毎週㊐後8時~8時45分
BS 後6時~/BSP4K 後0時15分~、後6時~