スポーツ

[8]ブラジルを知るフリーサッカーライター 沢田啓明氏

スポーツ 2014.04.16

沢田啓明氏 ブラジルW杯まであと2ヵ月。日本のテレビや雑誌では、ブラジルの特集が組まれ始めている。それらメディアに載る情報を発信しているのは誰なのか。新聞社の特派員や、W杯の時期だけブラジルへやってくるスポーツ記者もいるが、その中で、少ないけれど活躍しているのがフリーのサッカーライターだ。今回はサンパウロに在住し15年以上もフリーで活動するサッカーライター沢田啓明氏を紹介したい。

 沢田氏は主には日本のスポーツ紙や一般紙、インターネット媒体に現地のサッカー情報を提供。さらにはサッカー専門誌の依頼を受けての取材活動や、自ら企画するコラムも担当している。
 しかし同氏は、そもそもサッカーライターを志してブラジルへ来たわけではない。
 1985年、3年間勤めた自動車メーカーを退職し、国連などの国際機関で働くことを目指して沢田氏はフランスのパリへ渡った。しかし翌86年には、夢半ばにして日本へ帰国。将来を悩むも、「お金と時間があり、それを自由に使えるのはきっと人生で今しかない。一番やりたいことをやろう」と考え、サッカーW杯を観戦しにメキシコへ飛んだ。

 メキシコW杯が準々決勝まで進んだ86年6月21日、沢田氏に人生の転機が訪れる。グアダラハラの会場では「事実上の決勝戦」といわれたブラジル対フランスの一戦が行われた。沢田氏は、「これがサッカーか。おれが知っていたサッカーとは別のスポーツだ」と大きな衝撃を受けたという。
「結果はブラジルのPK負け。でもこの日のブラジルほど見ていて楽しくて感動したサッカーはない」。
 この日を境に「ずっとブラジルのサッカーを見ていたい」と強く思い、同年末にブラジルへの移住を果たし、邦字紙の新聞社や保険会社で働いた。

 沢田氏がサッカーの記事を書くようになったのは98年、元日本代表の前園真聖氏がサントスFCに移籍してきたことがきっかけだった。かつての新聞社の上司が、日本のスポーツ紙に原稿を送る仕事に沢田氏を推薦してくれたのだ。
 翌年前園氏が退団してブラジルを去った後も、会社の仕事の休みを利用して精力的にサッカーの取材活動を続けた。すると徐々に日本のメディアとつながりができ、サッカーの原稿執筆で得る収入も増え始めた。
 こうして同氏は会社を辞めて、フリーのサッカーライターに転身した。

 沢田氏には忘れられない取材がある。故テレ・サンターナ元代表監督へのインタビューだ。ブラジルサッカー史上に名を残す知将であり、沢田氏にとって忘れられない86年のメキシコW杯でブラジルを率いていたサンターナ氏。その自宅で昼食を共にしながら行った取材は「夢のような時間で、ブラジルに来たかいがあった」と感じたという。

 沢田氏はサッカーライターだが、サッカーを報じることだけが自分の仕事ではないと考えている。「サッカーを通じて、日本の人にブラジルの良い面も悪い面も正しく理解してもらいたい」という願いがあるからだ。
 「日本の報道で目立つのは、治安の悪さや政治の腐敗など悪い面ばかり」。それも事実ではあるけれど、ブラジルは「人種差別が少なく、仮想敵国や戦争を仕掛けられそうな国でもない。どの先進国も到達していない理想に、はるか昔から到達している」と話す。
 ブラジルW杯関連の報道は、日本でこれからますます増えるだろう。私も現在ブラジルに在住し、ブラジルから情報を発信する一人として、サッカーの報道が、ブラジルの「今」を知ってもらえるきっかけになればと望んでいる。

 

【筆者紹介】
夏目祐介夏目祐介 YUSUKE NATSUME

1983年東京生まれ。早稲田大学、英国ローハンプトン大学院(スポーツ社会学)卒業。2009年ベネッセコーポレーション入社、2013年同退社。W杯のためすべてを捨ててブラジルへ。現在ブラジル邦字紙「サンパウロ新聞」記者。

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