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ブラジル通信
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[12]ロナウジーニョを治療する鍼灸師 高橋普美雄

高橋普美雄氏
提供:高橋普美雄氏

 ブラジル代表のW杯最終登録メンバーが発表された。前回W杯で主力メンバーだったカカやロビーニョは選外で、俗に言う「サプライズ選出」はなかった。しかし未だにブラジル国内で人気があり、「サプライズ」への期待が高かったのがロナウジーニョだ。34歳の今でも代表に推す声が上がる同選手。そのキャリアはけがに泣かされてきたことでも知られる。そんな同選手が度重なるけがを克服できたのは、一人の日本人の力によるところが大きい。

 鍼灸師の高橋普美雄氏。独自の指圧と鍼の技術に、「良導絡治療」と呼ばれる電気針を使う低周波治療を取り入れ、医者がさじを投げたサッカー選手のけがを治してきた。
高橋氏への取材で強く印象に残る言葉がある。
「人生は運と出会いですよ」。
同氏が鍼灸の仕事に就き、ロナウジーニョに出会う過程を知ると、この言葉の重みはさらに増す。

 1957年。高橋氏はサンパウロ州のアルバレス・マシャードという町に移民として入植し、ハッカ工場で化学分析の仕事をしていた。ある日ブラジル人の同僚がトラックから落ち、命に関わる重傷を負う。高橋氏は鍼灸の経験があったわけではないが、少しだけ施療の知識があった。一刻を争う事態に「殺してもいいからやってみろ」という周囲の声に押され、同氏が応急処置を施すことに。結果的に同僚は無事一命を取り止め、以来同氏の元には口コミで「患者」が集まるようになった。
 プロサッカー選手を初めて治療したのは90年。高橋氏は現在も住むパラナ州クリチバ市にいた。その年のサッカー州チャンピオンを決める試合は、アトレチコ・パラナエンセ(アトレチコPR)とクリチバの名門対決。2勝先取で優勝が決まる決勝で、両者が1勝ずつして優勝の行方は第3戦にもつれこんだ。しかし、アトレチコPRはエースのカリーニョが第2戦で負傷。同クラブのサポーターだった同氏の友人は、あらゆるつてをたどり、カリーニョを高橋氏の自宅まで連れてきた。
「タカハシ、3戦目までの残り2日間で治してくれ」。
 カリーニョは同氏の治療で復帰し、第3戦に出場。アトレチコPRを優勝に導いた。この復活劇をクリチバのマスコミは大々的に取り上げ、高橋氏は一躍有名人となった。

 ある日、パラナ・クルービというサッカークラブの会長が、自らの治療のため高橋氏を訪ねた。会長はすぐに腕にほれ込み、「金はいくらでも払う。うちの選手がけがをしたら診てやってくれないか」と打診した。これを機に治療した選手の一人が、別のクラブの選手を同氏に紹介する。彼の名はロベルト・アシス(アシス)。ロナウジーニョの実兄だ。
 2001年、フランスのモンペリエに所属していたアシスから一本の電話があった。「弟がパリでプレーしていて、けがをした。診てくれないか」。
高橋氏は数日にわたるアシスの説得を受け入れ渡仏。パリのロナウジーニョの自宅へ向かった。すると、クラブの医者が全治3カ月と診断したけがをわずか4日間で完治させ、おまけにロナウジーニョは復帰戦でゴールも決めた。それ以来、同選手は移籍する先々で大きなけがを負った時には。高橋氏を呼ぶようになり、10年来の付き合いが今でも続いている。

 ロナウジーニョは今年のW杯への出場が叶わなかったが、各国代表の主力選手の中にも高橋氏の患者は何人もいる。
 例えば日本代表初戦の相手、コートジボアール代表のドログバや、アルゼンチン代表のメッシ。さらには、現ブラジル代表監督のルイス・フェリペ・スコラーリもかつて同氏が治療を施した。
「僕の治療は口コミで広がった。過去に治療した選手が、別の選手を紹介してくるんだよ」。
高橋氏は、鍼灸師としての成功や、大物サッカー選手と信頼関係を築いた人生を「運と出会い」によるものと表現した。同時に私は、同氏への取材で「本物は本物を引き寄せる」必然のようなものを感じた。

 

【筆者紹介】
夏目祐介
夏目祐介 YUSUKE NATSUME

1983年東京生まれ。早稲田大学、英国ローハンプトン大学院(スポーツ社会学)卒業。2009年ベネッセコーポレーション入社、2013年同退社。W杯のためすべてを捨ててブラジルへ。現在ブラジル邦字紙「サンパウロ新聞」記者。