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ブラジル通信
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[4]ブラジルでプレーする『海外組』 トンベンセFC 須藤右介

須藤右介 「海外組」。日本のサッカー界で、外国でプレーする選手を表すこの言葉が、時として欧州の主要クラブに所属する選手のみを指す風潮に違和感がある。
 須藤右介(すどう ゆうすけ)は、昨年はブラジル全国選手権4部(今年から3部)のサルゲイロACでプレーし、今年1月からミナス・ジェライス州選手権1部のトンベンセFCでプレーする、れっきとした海外組の一人だ。

 須藤は2005年、高校卒業と同時に名古屋グランパスエイトへ入団。同期には日本代表で活躍する本田圭佑がいた。名古屋に3年間所属した後、横浜FCへ移籍。さらに10年、当時JFLの松本山雅FCへ移籍した。
 松本山雅では2年目にキャプテンになり、主力としてチームをJ2へ昇格させた。しかしJ2の舞台では監督の交代も影響し、年間2試合の出場にとどまる。チームに貢献できずにもんもんとする日々を過ごす中で、「結果を出すために思い切りが必要だった」と、須藤は松本山雅を退団。昨年4月、ブラジルに活躍の場を求めた。
 ブラジルに来て3カ月はビザなどの関係で試合に出られず、できるのは練習だけ。須藤にとって一番つらかった時期だったという。

 さらに所属していたサルゲイロACの本拠地は、ブラジル北部のペルナンブコ州。「本当に何もないところに放り込まれた」と話すように、須藤は日本とは180度違う環境にストレスを感じ、練習中よりもプライベートのほうが元気なブラジル人選手独特の生活リズムにもいらついた。「おれ、何やってんだろう」と、ホテルの部屋で一人打ちひしがれることもあったという。
 それでも須藤は「自分は日本を代表して来ている」という強い意志でひたむきに練習した。すると徐々に気持ちの強さと足元の技術が周囲から評価され始め、持ち前の愛嬌もあり「差別はほとんどなくチームに解け込めた」という。

 ブラジルの生活や文化からも学びがあった。「例えば日本ではスーパーのレジ袋にまで品質を求められるけど、ブラジルでは違う。レジ袋は家まで買った物を運べればよい程度のもの。でもそれが本質だと思う。僕も日本では小さなことにこだわって、大事なことが見えなくなっていた。細かいことを気にしないブラジル気質から学んだ」と人間的な成長もあった。
「うまい、速い、強いは当たり前」なプロの世界で、「日本では指導者の指示通りに動き、周囲に合わせることを求められる。僕は自分の主張を貫こうとして順応する力が弱かった。ブラジルに来て少しだけ大きくなれたのかも」。

 ブラジルには、日本にはない仕組みで選手を獲得し、運営しているクラブがある。サルゲイロACを退団し、今年から須藤が入団したトンベンセFCもその一つだ。
 ブラジルのプロリーグは、1~5月が各州内で優勝を争う州選手権、5月~12月がブラジル全土の王者を決める全国選手権と開催時期が分かれている。例えばコリンチャンスはサンパウロ州リーグ1部に出るし、フラメンゴはリオ州リーグ1部に出る。もっとも各州リーグには、全国選手権に出られないクラブのほうが圧倒的に多い。そんな中で、トンベンセは州リーグの期間のみ選手を集めてチームを作り、選手にアピールの場を与える。その代わりに、5月のリーグ終了後には、全員別のクラブへ移籍させ、移籍金で収益を得る。
 最初から期限が決められている分、サルゲイロAC時代以上に厳しい環境ではあるが、須藤は「ここで試合を見てもらい、全国選手権に出場するチームに移籍できるようがんばりたい」と意気込む。

 奇しくも今年はブラジルでW杯が開催される。須藤は「プロサッカー選手である以上、0%じゃない代表への可能性を信じてプレーする。(プロ入り同期入団の)本田(圭佑)が行けるなら、おれにだってできるはず」と半分冗談のように話したが、本気度が記者には十分伝わった。
 頑張れ、須藤。ブラジリアン・ドリームはまだ始まったばかりだ。

 

【筆者紹介】
夏目祐介夏目祐介 YUSUKE NATSUME

1983年東京生まれ。早稲田大学、英国ローハンプトン大学院(スポーツ社会学)卒業。2009年ベネッセコーポレーション入社、2013年同退社。W杯のためすべてを捨ててブラジルへ。現在ブラジル邦字紙「サンパウロ新聞」記者。