1950年代〜80年代のアメリカ現代史を背景に、IQは低くとも誰にも負けないピュアな心を持つ男の奇想天外な人生を描き、アカデミー賞で作品賞・監督賞・主演男優賞(トム・ハンクス)など6部門を制した一篇。
背骨が曲がり、IQも人並み以下と宣告されたフォレスト・ガンプ(マイケル・コナー・ハンフリーズ)は、それに少しも動じない母(サリー・フィールド)の愛情を一身に受け、女手一つで育てられる。母の希望で普通の小学校に入ったフォレストは、頭が弱い上に脚にギプスをはめていることで同級生たちのいじめに遭うが、ジェニー(ハンナ・R・ホール)だけは彼に優しかった。成長したフォレスト(ハンクス)は、俊足を買われてアメフトの全米代表選手として活躍。さらにベトナム戦争では小隊長のダン(ゲイリー・シニーズ)らを救って栄誉勲章を受勲し、その後も卓球の世界選手権に出場するなど、思いがけず華やかな人生を歩むことに。一方、フォレストが一途に愛し続けるジェニー(ロビン・ライト・ペン)は、大学を中退して反戦運動にのめり込み、やがて麻薬やフリーセックスに溺れて人生を踏み誤っていく。
ふわふわと舞う羽根を追ったオープニングから、早くも引き込まれる。ハンクスがケネディをはじめとする歴代の大統領やジョン・レノンらと“共演”する合成シーンや、目にも留まらぬ卓球のラリーなども楽しい。それらは進化したVFXの成果であり、ひとまず本作を“技術の映画”として評価することができるだろう。
では、物語の方はどうかというと、いささか問題があるといわねばならない。本作は主人公フォレストを“聖なる愚者”として描く一方、ヒロインのジェニーを人生の敗者として扱っている。両者の生き方を対比し、前者のそれを支持しているのは明らかだろう。しかし、誤解を恐れずにいえば、フォレストがまっすぐに生きられたのは、彼が馬鹿だからだ。例えば、ベトナムから帰国したフォレストは、大統領から勲章を貰った直後に反戦集会に参加したりする。そんな節操のない行動を取れるのも、何も考えていないからだ。そこには、人並みのIQを持っていれば生じるはずの葛藤がない。そもそも、国に命令されて外国まで人を殺しに行ったという自覚がないのだ。戦場のシーンに戦う相手がまったく登場しないのは象徴的で、彼にとっては敵など存在しないということなのだろう。カウンターカルチャーにどっぷり漬かったジェニーの急進的な生き方は、今日から見れば幼稚で愚かしいものだが、少なくともそれは彼女なりの現実に対する問題意識の発露だった。それを否定してフォレストの生き方を“ガンピズム”などと持ち上げることは、現実から目をそらすことに等しい。IQの低いフォレストがああいう生き方をしたのはほかに選択肢がなかったからで、彼に責任はないとしても、そこから普遍的な人生の指針を得ようとするのは間違っている。
ロバート・ゼメキスの演出やハンクスの演技は、オスカーにふさわしく一級のものだ。しかし、そこで説かれているのは不正を助長する沈黙を美徳とする悪しき保守主義にすぎない。いつだったか、選挙の時は寝ていろとか発言して大顰蹙を買った政治家がいた。あれと同じことで、我々は愚弄されているのだ。




